1980年版鉄腕アトム感想ツイートまとめ
Gyaoが1980年版アトムを無料配信していたので、それについてのツイートを下記にまとめた。
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- 1~2話
Gyaoが1980年版アトムの1~2話を無料公開しているので見たんだけど、Pはじめ、東京ムービー勢が多くて驚いた。ジングルやSEまで東京ムービー作品と同じ。また、名作を数々手がけた井上和夫さんが編集をしている。更に、じゃりん子チエの脚本陣である宮本昌孝さんが文芸進行で驚いた。
以前調べた時に、監督の石黒昇さんはじめ、ど根性ガエルスタッフが多いのが気になってたんだけど、ここまで東京ムービー勢が集結していたとは…
手塚プロダクションと東京ムービーは、何らかの繋がりがあったのかもしれない。
2話の演出は、はしもとなおとさん。キャプテンの演出も多く手がけていた。1980アトムには、キャプテン監督の出崎哲さんも参加してるわけで、キャプテンチームも結集している。
それにしても、1980年版アトム、当時「アトムが街を壊しすぎる」という批判があったそうだが、確かにドッカンドッカン壊している。市街地メカアクションが得意な石黒昇監督の特性が出ている。
私の中では、1980年版アトムの天馬博士が酷い奴で、2000年代アトムの天馬博士はまだヌルいと思い込んでいたのだが、1980年版天馬博士の方が、やさしい父親してたわ…間違ってたわ…行方不明になったアトム(トビオ)を必死に探すシーンには胸を打たれた。
2000年代アトムは、終盤あたりで天馬博士が闇落ちしてた記憶がある。
いずれにせよ、天馬博士は瞬間湯沸し器で、それはアトム・ザ・ビギニングのヤング天馬にも引き継がれている。
- 3話
いやもう、この回の、サーカス仲間のロボットが死ぬシーンが子供の頃トラウマで…(キッズルームで繰り返しやってたせいもある)。
あらためて見たら更に惨い。スクラップのあとゴミ同然に捨てられてる…
あと、この回、杉江慧子さん脚本なのね。
荒木芳久さんの手記によると、杉江慧子さんは女性の心理描写について、他の脚本家にアドバイスしてたそうで…
確かに、女性キャラ(キャシー)の母性や、ちゃっかりさが、よく描写されてた回だった。
1980年版アトムの序盤見てると、ふと「亡き人の代わりがロボットに務まるのか」とか不思議になる。たとえば、脳のメカニズムが解明されて、亡き人のメモリをロボットに入れたとしても、亡き人と、そのロボットはイコールではないような…
それとは別に、アトムは心を持つ人間的なロボではあるが。こういうのは押井守カテゴリに入るな。あと「イノセンス」とか見てると、「魂(ゴースト)だけのヒトを愛せるのか。自分ならどうするかな…」とか思う。
それにしても、アニメのバトーは素子に惚れすぎ。
- 4話
出崎哲さん演出回!コンテは山谷光和さんだから、哲さんコンテとは趣が異なるけど、回転演出や夕陽演出に哲さん成分が出てた。特にここ。
哲さん監督作のキャプテン(2枚目、下から2段目)に似てる。
この、哲さんこだわりの回転演出、年々複雑で難易度の高いものになってるなあ。それを支えてるのが、哲さんの重鎮のアニメーター、清水恵蔵さんや四分一節子さん、小林ゆかりさん等なのだと思う。この回も原画参加している。
亡くなったあと、石黒昇さんの凄さが次々とわかるのが悲しい…監督作の1980年版アトムもよく出来てるし、やっば市街地メカアクションが凄い。
1980年版アトム、脚本の密度も凄いと思う。1話内に沢山の出来事が発生する。たぶん原作を物凄い勢いで圧縮しているんだろうなあ、と。5話でもうパパ・ママロボ製作に入るし。
これは、子供の関心をいかに引くか、飽きさせないか、ということに長けた、手塚治先生の意向もあるのだろう。なにしろ、手塚先生自ら絵コンテ脚本原画に参加する張り切りようだし。
1980年版アトムは80年代テカテカ塗りをやってるわけだが、手塚先生は原画を描いてる時どう思ってたんだろうか。「ぼくだってこれくらい描けるんですよ!!」イズムが発動したのだろうか。
- 5話
脚本が、ガンダム脚本陣で、貴重な手記をネットにアップした荒木芳久さん。原画に、エースをねらえ!2のチーフDの古瀬登さん、動画に、りんね3期監督の石踊宏さんがいた。演出は元エースをねらえ!制作進行の安濃高志さん。エースをねらえ!関係多いな。
1980年版アトム、面白いな…
それに、毎回脚本の密度が濃い。脚本陣が、密度の濃い脚本を書ける人ばかり。中盤から数本脚本参加してる高屋敷さんも、密度の濃い脚本が特徴の一つだし。
手塚先生の管理が厳しいのかと思いきや、脚本演出作画すべて、各個性が生きている。
高畑監督の「じゃりん子チエ」も、各話の脚本・演出・作画各セクションで個性が生きていたし。1980年版アトムの石黒昇監督も、色々な人を色々な作品で育てている。
石黒昇監督は、前からそんな感じを受けていたが、手塚先生や高畑監督は、ワンマンなイメージがあったから意外だった。
まあ、ほんとにワンマンだったら、出崎統・富野・りんたろう・杉井ギサブローさんほか、虫プロから、あんなに名手が生まれるわけないしな…。
1970年前後、虫プロ末期は手塚先生が直接制作に手を出す機会が減ったみたいだが。
やっぱ手塚先生て、漫画だけでなく、アニメでも神だったんだなあ…。
- 6話
脚本が高橋良輔(ボトムズ監督)さんなんだけど、序盤にミステリアスな美女ロボットに会う展開が、ボトムズ1話と被るw
演出が、キャプテン演出も多い、はしもとなおとさんで、出崎哲さん(キャプテン監督)的回転演出が多かった。
1980年版アトムの監督は石黒昇さん(マクロス監督)なわけだけど、それにボトムズ監督の高橋良輔さんが参加してるのは、今見ると豪華。
- 7話
脚本が、ガンダム脚本陣の荒木芳久さん。
コンテ演出の矢沢則夫さんは、忍たまの担当コンテ数が大量で凄すぎ。https://t.co/94t6FxxtnM
道理でよく見るお名前なわけだ…四捨五入で1000本切り行くかも。
それにしても、今回も脚本密度が濃い…なるべく次回に引っ張らず、子供を飽きさせないようにしてるのかな。
脚本の密度が濃い→カット数が多い→作画枚数が多い…
となり、そうとう予算がかかってたりするのかな。皮肉にもアラレちゃんに視聴率で負けたらしいと、どっかで見かけたが。
そういえば、1980アトムは、悪ガキに虐められてもロボット三原則で手が出せないジレンマが出て来るけど、アラレちゃんは人間相手でも容赦ないな(犯罪者とかだけど)。まあ何でもありな世界だからだけど。
そんなアラレちゃんでも、死の概念を理解してない悲しさが表れる回があった。クマが密猟者に撃たれる回。センベエさんがサイボーグ熊として生き返らせるけど。
この、印象深かったクマの話、調べたら、アニメは脚本が金春さんだったのか(5話B「クマさん友だち」)!
高屋敷さんといい、お二人とも、過去から現在まで、印象深い話を担当されてるなあ。
ただ、いくら(元)夫婦とはいえ、火の鳥鳳凰編を見るに、共著脚本となると、かなり個性のぶつかり合いを感じた。1作品内2重人格というか。
アラレちゃんとクマの話、DBのブウと子犬の話、比較すると面白い。鳥山先生は何気に動物との交流話で泣かせにかかる。
- 8話
脚本が、3話以来の杉江慧子さん。
享年から考えると、アニメとしては1980年版アトムが遺作。名作が多いだけに、非常に残念。
あと、コンテの永樹凡人さん、キャプテンのコンテでよく見かけた。こちらも最近亡くなられて悲しい。
杉江慧子さんは、失踪→遺体発見で、自殺らしいとのこと。
http://www.geocities.jp/chanbara310/staff/3_3su.html
つくづく悔やまれる。
話としては、アトムが一年生を手荒な方法で救助する所が笑ったw
しかしながら、お茶の水博士がアトムに装着した高圧電流発生装置のせいで、ゲスト敵とその愛猫が死ぬのが救いがない…。ここらから、やりきれない話が多くなるっぽい?
やりきれない、救いがないといえば、杉江慧子さんが多く脚本を担当したベルばらもそうだった。
晩年なだけに、精神的に暗くなっていたのかなあ…失踪原因は、「仕事に行き詰まった」かららしいが…
いずれにせよ素晴らしい脚本家だった事は確かなので、もっと知られて欲しい。
それにしても、ヘビーな話が多いことと、脚本の密度が濃いこと、カット数&作画枚数が多いことに毎度驚かされる。80年代といえば派手なイメージだが、80年代入りたてだから過渡期にあるのかな。
- 9話
脚本が手塚先生。演出が安濃高志さん(ヨコハマ買い出し紀行監督)だと、原画に古瀬登(エースをねらえ2監督)さん、動画に石踊宏さん(りんね3期監督)がいる。そういう班なのかもしれない。
話はアトラス編。単発エピの間に主軸のシリーズを混ぜこむのは、洋ドラの構成に似ている。
アトラス、しつこい割にはすぐに勝負をお預けにするあたりが笑ってしまうというか、シリーズものの宿命を感じる。
子供の頃、「とにかくアトラスがしつこい」と感じていた理由があらためて解った気がする。
ところでこの9話含め何本かコンテを切っている山谷光和さん、ぐぐると何故か神田武幸さん(バイファム監督)が出てくる。神田さんの変名?かと思ったが、特にそういう記述は見当たらない。謎のままなので保留。
普段の単発エピは密度が濃いというか、何とか1話完結にしようという努力が見られるが、アトラス編は、いかにして次に引っ張るかに骨を折っている。手塚先生自らの脚本を書いてるあたり、主軸としたい感じが伝わってくる。多少、ジャンプ的引き延ばしも感じるが 。
次回10話は脚本・コンテ・演出が出崎哲さんなんだが、予告からしてすぐに出崎哲さんだとわかるw
兄弟そろって強烈な個性を持ってるなー
- 10話
脚本・演出・コンテが出崎哲さんという回。作画も清水恵蔵・四分一節子・小林ゆかり・小和田良博さんら、キャプテン(哲さん監督)でおなじみの面子、というか哲さんスタジオのマジックバスが請けてるからだが。
本編中に「マジックバス号」というのが出るの笑った。新エースをねらえ!の出崎哲さん演出回での「マジックバス取材」のイタズラ書きにも笑ったが、それ以上の自己主張だw
あと、海中シーンが哲さん監督作のマリンエクスプレスぽい。
そして、哲さんイズム「女は男心をわかってくれない」的なエッセンスも見える。ちゃんと和解はするが。侍ジャイアンツの哲さん脚本・コンテ回では「女のご機嫌取るような奴に男の友情がわかってたまるか!」という台詞があり、とにかく出崎兄弟は男の世界好き。
そういう面ではやはり、哲さんのど根性ガエルの脚本・コンテ回が強烈。「純粋な男心を踏みにじった!死ね!!」だからなーw
映像面でやはり、やたらと夕陽が出る。あと統さんばりの入射光を哲さんも使うんだなあと。
出崎哲さんは、統さんみたいにがっつり虫プロってわけでもなさそうだが、監督作マリンエクスプレスや1980版アトムの演出を見るに、手塚治虫作品との相性はいいのかな。絵柄がマジックバスワールドになるとはいえ。
- 11話
脚本は金子裕さん。ロボットが大統領の国の話だが、ロボット権だけでなく、ロボットに披選挙権があるのか。権利関係は、2000年代版アトムより進んでいる。
ロボット大統領に反対するレッドクロス軍という、ロボット差別集団が出てくるけど、明らかにナチスを思わせるし、ロボット=披差別人種と置き換えることができ、そう思うと結構エグい話だった。
ど根性ガエルの金子裕さん脚本回に、ぴょん吉自爆みたいな話があり、それもエグい。
- 12話
高橋良輔さん脚本、森田浩光さん演出。
失った首を求めて荒れるロボット・ダムダムの悲劇で、ダムダムがロボットの首狩りをするのだが、被害ロボットが軒並みかっこいいのが気になったw
被害ロボットのかっこよさ、演出の森田浩光さんの意向かなと思ったけど、森田さんは、あまりロボアニメをやっていない。近年はおじゃる丸が多い。後にマクロスの監督になる、石黒昇監督の意向か、原画さんの趣味なのか。
それにしても3~4mあるロボットが単体で夜道をブラブラしてる世界がシュール。
3~4mのかっこいいロボットが悲惨な目にあう・危険な仕様ゆえに大事なもの(首)を失うロボット・危険な仕様をつけた人間のエゴ・ダムダムのやりきれない死
など、なんとなく、今回の脚本の高橋良輔さんの今後の作品(ボトムズ監督など)につながるものがある。
ダムダムの悲劇、頭の中性子ビーム機能を、お茶の水博士がさっさと除去しておけば防げたのではないかと…と、つっこみたくもなるが、とにかく1980鉄腕アトムは、ロボットの死や破損の描写がエグい。
人間もロボットも、ついさっきまで意思を持ち感情があったものが死をもって物質に還るのは怖いし、悲しい。
1980版アトムは、ロボットの悲惨な死を描くことで、人間もロボットも同じであると訴えているのかも?
- 13話
私待望の、探求中である高屋敷英夫さん脚本回。
これも高屋敷さんの特徴沢山。過去・未来作とのシンクロや、テーマの共通性など。
面白かったのは、高屋敷さん特徴の知略(悪賢さ)を使った作戦が、アトムの直情的な行動により台無しになるところ。
高屋敷さんの作品だと、煽り・騙し・挑発・イカサマは、主人公側や味方も使い、それで痛快な知略逆転劇に繋がることも多いのだが(アカギ・ワンナウツ・カイジ脚本・シリ構など)、ロボットであり純粋な心を持つアトムにはそれがわからない。
そして、その齟齬は、悲しい結末の遠因になってしまう。
「直情的な義憤では、いくら相手が悪でも勝てない」というメッセージは高屋敷さんの特徴だが、心優しくても、子供の心を持つアトムに、それは難しすぎた。
カイジでも、会長戦ではそれが表れている。相手が悪でも「理」が無ければ勝てない。
また、ロボットであるアトムには、嘘や挑発といった悪知恵を駆使することは難しい。
ヒゲオヤジの作戦を邪魔したことで怒られ、落ち込むアトムではあったが、「いいことだと思ったのに」と言うのは中々深い。
更に、善悪の区別がつかないロボット・電光は更に厄介。
結局のところ、純粋すぎるロボット二人(アトム・電光)が、人間に振り回されることになってしまう。だからといって、人間の複雑な心理が絶対悪というわけではないのは、アトムにもわかっていて、悲劇的な結末を迎えても「誰も恨みません…」と言う。悲しくも複雑なラスト。
ついこないだ特集したMASTERキートン18話(高屋敷さん脚本)では(http://makimogpfb2.hatenablog.com/entry/2017/10/02/120437)、
詐欺師が次第にお人好しになるも、知略を使い人を救う行動に出ている。こういった、人間にとっても複雑な、人の心の推移は、子供でありロボットであるアトムには難しい。
とにかく、高屋敷さんの持ち味である、知略や悪知恵を、アトム世界で展開すると、それをアトムが理解できない…という、まさかのミスマッチが、深いドラマを生んでいると感じた。
アトム世界のロボットが「心の推移」を理解できるかどうかについては、アトムのライバル・アトラスの心は推移しているので、全く不可能な話ではないようだ。嘘や騙しのテクニックについては、結局二人ともあまり得意ではないようだが。
そういえば、攻殻SACのタチコマは「嘘をつく」機能がある。SAC2期で「用事がある」と偽って、衛星サーバへの死出の旅に出るタチコマは泣ける。
さらに原作1.5巻ではフチコマがポーカーをしてるwこれも「騙し」が必要なゲーム。
ベースとなった人格がそうなんだろうか。声は子供だが。
マンガワンで鉄腕アトム原作を読んだが、1980版アトムと比較すると面白い。
どの話も原作は長い話なのに、アニメでは大筋を変えないようにしながら超圧縮している。それでも体感するカット数は多い。脚本・演出・作画の力量が窺える。
あまりに毒舌のせいなのか1980版アニメ(高屋敷さん脚本回)でカットされているアトムの台詞「スカンクは東京のダニなんだ」が笑ったw
あと、高屋敷さん脚本回13話であるアニメの方がヒゲオヤジを活躍させているというか、「人間は(正義のためでも)騙しや悪知恵を使う」が強調されていた。
高屋敷さん脚本分「電光人間」、話全体で「人間の悪い心がロボットには備わっていない悲劇」を描いている。原作では冒頭でズバリ、スカンクが「悪い心がないアトムは完全なロボットではない」と言っている。これも、漫画とアニメという媒体の違いをうまく生かしていると思う。
マンガワンの鉄腕アトム、全話タイトルだけざっと見てみて、
1980年版アトムの高屋敷さん脚本分の原作タイトルを探した。
電光人間・イワンのばか・盗まれた太陽 は原作が見つかったが、アニメ31話「嵐の中を突っ走れ」はアニオリ。
1980版アトム各話に言えることだが、原作のボリュームを1話に圧縮する力技が凄い。やれといわれたら、私なら逃げ出すw
また、高屋敷さん的には、この経験も、カイジ原作100P近くを1話に詰めたりする脚本につながっているんだなあと。
逆に、脚本家・荒木芳久さんの手記によると、赤毛のアンは原作3ページを30分に広げるなどの力技を行っていたようだ。
アニメ1話に与えられた時間をどう使うかも作品次第だし、どちらもスタッフの力量が問われるなあ。
- 14話
お正月&ウラン初登場回なわけだが、こういう、お正月とかクリスマスの要素はアニオリなんだな。これを折り込みながら原作の長い話を圧縮しているから、本当に脚本の苦労が窺える。
あと、動画にベテランアニメーター(直近は最遊記2期作監)の小林利光さんがいた。結構初期の仕事のようだ。
今回の脚本は金子裕さんなわけだが、高屋敷さんと縁がある。共にど根性ガエルスタッフでもあり、めぞん一刻では共著脚本までしている。何故かは謎。
- 15話
「ロビオとロビエット」、タイトルからして悲劇なんだけど、原作もアニメもエグい。1980年版アトム全部に言えるけど、ロボットの死にかたがエグいんよなあ。基本爆発四散というか、意思のあったロボが物質に還るというか。
脚本が金子裕さんなんだけど、これも1980年版アトム全話に言えることだが、よく長い原作を30分番組に落としこんでるなあと感心しきり。エンタメとして、レースシーンを主軸にしたのも良い。それにしてもロボットが死ぬシーンが毎度エグい…
この、長い原作を1話に圧縮する方針は、手塚先生が子供を飽きさせないように出したのか、石黒昇監督の方針か、気になるところ。もちろん、Pやスポンサーが出した号令なのかもしれないが。これは、相当に脚本家の苦労がありそう。というか原作と比べて見てみると、圧縮具合に感心しっぱなし。
- 16話
脚本がガンダム脚本陣リーダーの星山博之さん。これもマンガワンで原作を読んだが(「火星探検の巻」)、これも脚本の圧縮具合が凄い。100P近くを1話に凝縮。本作品全話そうだが、原作を圧縮する技が絶妙。
あと、原作とくらべると、メカデザインを流行りの80年代風に大きく変えている。後に石黒昇監督がマクロスの監督をやるだけに、バトロイドっぽい戦闘メカや、かっこいい戦闘機が出てくる。話は原作通り、やりきれない結末。本作はロボットの死に方もえぐいが、人間の死に方もえぐい…
脚本の星山博之さんポリシーかもしれないが、原作の「女の子がこんな事しちゃいけない」「女の子なのに…」的な台詞はバッサリ切られている。ガンダムとかも、「女が…」的な台詞は少ないっていうか、女子キャラは逞しい。
- 17話
石黒昇監督の直接演出回あって、メカ描写がかっこいい。脚本がガンダム脚本陣の松崎健一さんで、大気圏に突入しそうになる宇宙船を救出する話がガンダムぽいw原作も読んだが、大気圏ネタはアニオリだった。
これで星山博之、松崎健一、荒木芳久さんと、ガンダム脚本陣のうち3人が1980年版鉄腕アトムに参加したことになる。アトムとガンダムが脚本面でつながりがあったのは驚き。石黒昇監督は、後にマクロス監督だし、ヤマトのメインスタッフだし…色々なSFアニメのスタッフが参加しているなあ。
高屋敷さん脚本回でも、アニオリ部分に同氏の過去作品ネタが出てくるけど、今回の松崎健一さんも、ガンダムネタをアニオリ部分にうまく導入しているなあと思った 。
1980年版アトム、石黒昇監督といい、ガンダム脚本陣の参加といい、当時の最先端のメカ要素を取り入れようとしてたのかな。
2000年代版やアトム・ザ・ビギニングも、最先端さを取り入れようとした跡がある。
- 18話
山谷光和さんコンテ、出崎哲さん演出&哲さんスタジオのマジックバス作画回なので、当然ながら清水恵蔵さん作監で、マジックバス重鎮の四分一節子・小林ゆかり・小和田良博さんなどが原画におり、キャプテン(哲さん監督)と同じ布陣。
キャプテンといえば、1980アトム演出陣の、はしもとなおと・永樹凡人さんもキャプテン演出陣。何やらキャプテンのスタッフが集まっている。
脚本は元祖天才バカボンや家なき子の脚本も手がけた山崎晴哉さんで、益々東京ムービー作品によく出てる方々が参加している。制作は手塚プロなのだが。
どうやらPつながりらしいのだが、脚本陣も、山崎晴哉・金子裕・高屋敷英夫・杉江慧子さんら、東京ムービー作品を多く手がけた方々が集まっている。
脚本陣の、長い原作を超圧縮する技・1話内の密度の濃さは毎回目を見張るものがある。相当の手腕が要る。
18話自体は一つながりエピソードのアトラス編。犬(ジャンプ)が半ば強引に出ているあたり、同じく山崎晴哉さん脚本の家なき子が思い出される(カピはじめ、犬がよく出る)。
アトラス自体は、決着がつくまで分けたり負けたり撤退したりと、何やら哀愁が漂うwなんかいつも「おわーっ」って言ってる。
1980年版アトムのシリーズ構成または脚本リーダーって誰だったんだろう…監督なのか、はたまた手塚先生の意向なのか(手塚先生も脚本書いてる)?とにかく、演出や作画もいいが、脚本面もクオリティ高くて驚く。
手塚先生が絵コンテ・脚本・原画に自ら参加しているあたり、手塚先生の意気込みが凄すぎる。この頃だって漫画執筆業が忙しいはずなんだが。
- 19話
相変わらず、長い原作を1話に収める技が凄い。あと、ほぼ毎回思うが、本作はロボットも人間も、被害甚大。今回も、原作通りだが無差別爆弾テロが描かれ、アニオリで、二度と野球ができなくなった少年も出てきたり、シャレにならん。
ところで脚本の五十嵐ひろみさんは今回が初出だが、まんが世界昔ばなし脚本、タッチの脚本(水城ゆう名義)などを書いている。
後に引退してドッグカフェ経営をしているらしいと、検索したら出てきた(今現在はどうなのか不明)。ソース:
演出の宮崎一哉さんは、ゴッドシグマの演出やコンテが多いかな。本作も多数。近年?だと忍たま。
ところで、ほぼ毎回思うがスカンクの属する組織の資金力が潤沢すぎる。核魚雷とか持ってるしw原作では、スカンクの保釈金5千万円をポンと出している。これだけしつこく出るスカンクだが、後半フェードアウトするのは、前半~中期にしつこく出すぎたせいか?
1980年版アトムは、出崎哲さんスタジオのマジックバスが参加しているせいか、哲さん監督作であるキャプテンのスタッフが多いな…
演出面では出崎哲・はしもとなおと・永樹凡人さん、作画面では清水恵蔵・四分一節子・小林ゆかりさんなど。
また、マジックバス請け回は独自色が強く、レベルも高い。
1980年版アトム、圧縮するためのアニオリは多いが、基本は原作通りなので、悲劇はシャレにならんほど悲劇。人もロボットも悲惨な目に遭うのでシビア。ここは、手塚先生が健在だったこと、コンテや脚本などで手塚先生が積極的に参加している事もデカイと思う。いい子ちゃん作品にしないというか。
また、石黒昇監督も、よく考えたら悲劇好きかも…同じく監督作であるマクロスも、レギュラーである柿崎やフォッカーが死んでおり、モブの死に方もエグい。
近年、亡くなったのが悔やまれる。コンテ数も多かった。無記名含めたら富野さん級の多さなのではないか?
1980年版アトムが(枠組みは)原作に忠実でエグいって件、よく考えたら天馬博士の息子が幼くして事故死する1話からしてエグい話なわけで。大人になってから読む・見ると天馬博士がイカれるのも無理ないなって思う。作ったあともイカれてるが…
手塚先生の作品がエグい時はエグいって言っても、ギャグはきちんと入れている(この件については、藤子不二雄先生の「まんが道」が詳しい)。1980年版アトムは、ギャグ要素が原作より少ないので、エグさが増すのだろう。転じて、手塚先生コンテや脚本回は、ギャグを入れているのが興味深い。
- 20話
原作と比較したが、これも100P近い原作を1話に収める超圧縮技が使われている。
脚本は、山崎晴哉さんで、前回の担当作同様、犬(ロボットだけど)が強調されているような…
あと、動画にまた、今はベテランである石踊宏さん(カブトボーグ監督など)と、小林利充さん(直近:最遊記2期作監)がいる。
今回含め、本作で演出を多く手がける安濃さんは有名だが、今回コンテの内田薫さんは、検索しても本作しか出ない。誰かの変名?
本作全体に言えることだが、原作が映像的カメラワークを意識したコマを描いていても、アニメでは原作通りのカメラワークや演出を使っていないのは興味深い。手塚先生は実写映画を、アニメはアニメの文法を使っているというか。1980年ともなれば、アニメ文法も大分育ってる時代だし。
あと、今回を原作と比較してわかったが、本作では手塚スターシステムを極力使っていない。原作ではハムエッグとランプが出てくるが、アニメでは別キャラが描き起こされている。スターシステムは、子供にはわかりにくいと踏んだからかな?
これについてだが、1980年版アトムでは1980年当時の流行りのアニメ文法を使っているのではないだろうか。手塚先生自体、現在でも使われるアニメ文法の基礎を築いた一人なわけだが…不思議な感覚だ。
実際、メカのテカテカ塗りや、外装に複雑な線がびっしり描かれたメカデザインは、80年代大流行したものだからなあ。手塚先生がそれをどう思ったかはわからないが。
- 21話
私待望の、高屋敷さん脚本回。
冒頭からして、アナウンサーがベラベラ早口名調子で喋る所に、特徴が出てる(ジョー脚本の実況アナ台詞で培われたものと思われる)。やはり、原作と比べて、飯テロ&食いしん坊描写に尺割いてるw
話のコンセプトも、原作通りの流れながら、特徴である「ぼっち」と「魂を持つ物」「もの言わぬものの意思」が目立つ作り。主を亡くしたロボット・イワンの孤独さが泣ける。
人の墓を暴いてでもダイヤが欲しいという人間の浅ましさは、未来作のカイジ脚本9話のクライマックスでも描かれ、縁を感じる。
ダイヤを欲しがり天罰ぽく月に取り残されるのは、原作では凶悪犯なのに、アニメでは大富豪に変更されている。ここらへん、高屋敷さんの個性っぽく、カイジにも流れるテーマ。カイジ12話脚本にて、金と人間性で揺れるカイジや、金は命より重い…と言い切る利根川を印象付けているのにも繋がる。
これも長い原作を超圧縮しており、かつ密度が濃い。
この限られた尺でさえ、特徴である飯テロ&食いしん坊(しかもアニオリ)に尺を割いてるのが、なんとも高屋敷さんらしいと感じた。
ところで1980年版鉄腕アトムは極力、手塚スターシステムを使っていないが、そのかわりゲストキャラがレベル高い。今回も、オリキャラの神田博士がイケメン。
しかしお茶の水博士、どんだけ友達の博士いるんだw話の都合上増え続けてる…
1980年版鉄腕アトムは、長い原作を1話に収めつつ、オリジナル部分も必要な脚本が求められる。
高屋敷さんの脚本は、出崎統監督作品や1980アトムのような、オリジナル要素が大分必要な脚本と、高畑監督のチエあたりの、原作にド忠実な脚本の2通りがある。
カイジ脚本はその中間あたり。
原作大クラッシャーな出崎統監督と長年仕事していたので、オリジナル要素を入れる脚本については納得の傾向だが、原作にド忠実でありながら、じわり自分のテーマが浮き出て来る脚本パターンがあることに驚き(特にキートンなどの小島正幸監督作品)。
これについては、以前、ジョー2脚本経験と、チエ脚本経験が合わさって、原作を大きく変える出崎系と、原作に忠実な高畑系の使い分けをしているのではないかと書いたが、原作を圧縮しつつオリジナルが必要な1980アトム脚本の経験も相当デカイのかもしれない。
思えばカイジ1期1話脚本では、カイジをエスポワールに乗せるため、2期1話脚本ではカイジを地下に送るため、原作に大ナタを振るっている。この、「視聴者を待たせないための改変・オリジナル要素」は、1980アトム脚本で培われたものかもしれない。
とにもかくにも、1980アトムに求められる脚本レベルは高い。手塚先生が積極参加している割には、作画のみならず文芸面にも重点が置かれているのは意外。
虫プロは、作画スタッフに重点を置いていたような印象があるだけに。
「原作に忠実」と「原作を改変」を使い分ける高屋敷さんの技で戦慄したのは、以前書いたが、カイジ1期脚本20話の、原作通りの台詞と台詞の中間にある、「死んだ皆のためにも前だ。もっと前に行くんだ」という台詞。
家なき子演出で頻出したテーマ「前へ進め」が織り込まれており、使い分けの究極。
これについては、以前下記ブログ記事にまとめた。
http://makimogpfb2.hatenablog.com/entry/2016/08/14/204704
1980年版鉄腕アトムの高屋敷さん脚本回を見ることで、オリジナルと原作踏襲の使い分けの妙技について益々興味深くなった。
おそらく高屋敷さんの脚本面のキャリアについて重要なポイントであるジョー2・1980アトム・じゃりん子チエは、結構年代が近い。ジョー2・1980アトムが1980年、チエが1981~1983年(高屋敷さんは中期からの参加)。
丁度、フリーになったあたりか。脚本専門に舵を切る過渡期。
そのあたりでも忍者マン一平や新ど根性ガエル(PN参加疑惑)にて監督や演出面の仕事があるが、脚本面での「恐ろしさ」の方が勝ってくる時期でもある。演出時代も良かったのだが、「やりたい事、出したいテーマ」について脚本の方が出せている気もする。勿論、それも演出経験あってこそと思うが。
新ど根性ガエルの、変名での演出参加疑惑はかなり濃厚なのだが、疑惑は疑惑なので、特集できないのが残念だ。やりたいけど、共著脚本とPN疑惑については表立って特集しない方針(時々ツイートはしてる) 。
ところで1988アトム、手塚先生が積極参加してるが、当時どういう反応だったのか…
今のガンダムみたいに「こんなのアトムじゃない!!」勢はいたのだろうか。
オチが原作通りでも、ギャグ面が少なく、鬱話や、やりきれない話が際立つ所は賛否分かれそう。
- 22話
高橋良輔さん脚本回。このシリーズ、普段は長い原作を圧縮する脚本技が求められるのに、意外にも今回は短い原作を30分ものにリビルド。しかも引き延ばしではなく、相変わらず密度は濃い。設定やキャラも、原作から大分変わってる。
今回はラストでアトムが優しい嘘をつくが、それを実行するまでの間がよかった。
原作では、アトムは嘘はつけない、との明記はないので、「いい嘘ならついてもいいんでしょう?」とナチュラル。
嘘をつく機能がアトムにあるかないかは、原作もアニメも、言わぬが花なのかな。
それにしても、ほぼ毎回感じるが、町や人、ロボットの被害が甚大すぎるw
今回なんか、原作は火事だが、アニメは街壊滅の大地震…
あと、原作ゲストヒロイン?は老婆だが、アニメでは盲目の美少女。ここら演出か脚本の好みかな。
- 23話
ガンダム脚本リーダーの星山博之さん脚本回。
これも、22話と同じく、短い原作を30分ものとしてリビルド。もう、よせばいいのにと思うくらい原作に比べてエピソードを詰め込んでいて、22分内に収まるのかハラハラした。
あと、原作と時系列が異なる。
原作は、現在→回想→現在だが、アニメでは現在→未来。
これにより、ゲストキャラの真の姿や、ゲストの母星の運命を、時系列変更により、後半ギリギリに明かせるようにしてるのが、アニメはアニメで上手いなと思った。
毎回脚本の密度が濃すぎる。
それにしても、せっかくアニメ1話に収まりそうな原作があっても、どんどんエピソードを膨らませてパンパンにする方針は何なのだろう…
石黒昇監督って他作品でそういう傾向だったろうか??マクロスはそうでもなかったような…
それとも脚本陣やPの意向なのかなあ。
ふと思い立って、1980アトムと同様、石黒昇監督作であるマクロスの脚本陣を見てみた。
星山博之さん、アトムだけでなくマクロスも書いてたのかあ。マクロスは、松崎健一さんや大野木寛さんが目立つな。
星山・松崎さんは、ガンダムだけでなくマクロスの脚本もやってたのか。
- 24話
浦沢直樹先生も近年原案にした、プルートウ編前編。
これまた原作の長い話を超圧縮しており密度が濃い。脚本は山崎晴哉さん、コンテ石黒昇監督、演出はしもとなおとさん。
動画に、今はベテランの石踊宏さんと小林利充さんが再びいる。
本作の作風で覚悟はできてたとはいえ、プルートにやられていくロボットの死にかたがエグい、エグすぎる、こんな話があるかっ…ryってくらいエグい。しかも瞬殺。浦沢直樹版プルートは、各ロボットのロボット生を丁寧に描写していたが、本作は瞬殺・惨殺により悲惨さを出している。
瞬殺とはいえ雑に描かれているわけではなく、とにかく今まで通り、一話内密度が濃い。
脚本の山崎晴哉さんは、この数年後キン肉マンの脚本を大量に書くことになるわけだが、このプルート編がキン肉マンに生かされたかもしれない。キン肉マンの超人バトルに通じるものがある。
ところで吉川斌Pつながりなのか、本作は
脚本面で山崎晴哉・金子裕・高屋敷英夫・杉江慧子さん、演出やコンテでは出崎哲・石黒昇さんなど、とにかく東京ムービーでよく見る面子がホントに多いなあと思う。
東京ムービー作品には、倒産する虫プロから脱出した人達が多く参加しているが、不思議な縁だ。
とにかく、本作のコンセプトを実現するためには、脚本・演出・作画に相当腕の立つ人達が必要だったろうし、それが実現できている。
吉川斌さんは相当な名Pだったのでは。
数々の名作のPである、日テレ・吉川斌さんについて、こんな記事が見つかった。ガンバの制作裏話のようだ:
http://www5d.biglobe.ne.jp/~megasan/gambasite/maegaki2.htm
今でいう、日テレ中谷Pみたいな感じかな。中谷Pは、カイジはじめ、日テレの名作のP。
ちょっと検索しただけでも、日テレ吉川斌Pについて色々出てきた。
残念ながら、詳しい人物像や、健在の如何がなかなか出てこない。
ともかく、この人がいなかったら、ガンバ・赤ルパン・家なき子・宝島・キャプテン・元祖天才バカボンなどなどが実現しなかったことになる、凄い人なのがわかった。
1980年版鉄腕アトム、忍者マン一平、キャプテンに、はしもとなおとさんが頻繁に演出として起用されているのも、もしかして吉川斌Pつながりなのかなあ。
- 25話
プルートウ編後編。前編に引き続きロボットの死に方がエグい。エプシロンの最期とか、劇中の子供&お子様視聴者にはトラウマもんだろ…
あと、相変わらず脚本の圧縮具合が凄い、凄すぎるwよくもまあ1話に収めたもんだ。
バトル×6、災害対処1、エピローグが1話内に収まるとか…22分前後を目いっぱい使うとここまで入るのかと…信じられない。
脚本は前編に続き、山崎晴哉さん。やはり後の脚本・シリ構作のキン肉マンぽい。
あと原画に湖川友謙さんいたのも驚き。動画に石踊宏さん再び出現。
そもそも原作コミック1冊分まるまるを2話内に収めるのが狂気の沙汰。
弊害として、エピローグが駆け足で「おいおい…」と思う所があったが。
終盤のバトルは、巨大サイズロボの対決だけあり、マジンガーぽい。ファンの間では、手塚先生がマジンガーに対抗した説もあるが…はてさて。
本作が原作の超圧縮なら、浦沢直樹版PLUTOは、よくもまあ長編にしたもんだと思う。
ストーリーテラーの技量が試されるエピソードなんだと思う。
本編の最後に、各ロボットへの追悼&人間への説教ナレが入るが、そうはいっても、死んだロボット達(特にプルートウに殺されたロボ)が浮かばれなさすぎる…まあ、そのやりきれなさが本作の特徴なのだろう。
- 26話
脚本・絵コンテが手塚治虫先生、演出が出崎哲さん・作画が哲さんスタジオであるマジックバス回。
見始めてすぐに、上記面子であることに気付く。手塚先生のコンテは、シルエット演出が洋画やディズニーぽい。
また、手塚先生の脚本・コンテはギャグを忘れないという、漫画家の鉄則を守っているのも特徴。
そして出崎哲さん演出&マジックバス作画は作画はテカテカツヤツヤ、演出は男臭いテーマが詰まっている。今回も、恩の貸し借りを忘れない、アトラスの男(?)の美学が光る。
今回も被害が甚大で、しかも愛犬が死にかけるという深刻さ。
手塚先生がちょこちょこギャグを入れるも、ロボの死に方が相変わらずエグい。
本作の方針に手塚先生も逆らえず、1話の密度が滅茶苦茶濃い。やっぱりこれって手塚先生の意向なんだろうか?
もう、やりすぎなくらい密度が濃い。
あと、劇画と対立姿勢を取る手塚先生が、劇画調も得意とする出崎哲さんと手を組むことが多いのも不思議なところだ。代表的なものに、哲さん監督で手塚先生原作・監修のマリンエクスプレスがある。
それを言えば、哲さんの弟・出崎統さんは兄に輪をかけて劇画調なのに、虫プロ出身だし。
ただ、出崎統さんはアートフレッシュという、(当時の)若手クリエーター集団の仕事もしており、虫プロの方針には無いものを、そっちでやっていたのかもしれない。
ともあれ、出崎兄弟どちらとも手塚先生と深い関わりがあるのは驚き。傍目には、特に出崎統さんは、手塚先生の対極に見えるので。
出崎統さんは、手塚先生から「エンターテインメントを忘れないように」と言われたそうだが(wikiより)、手塚先生自身のコンテは、確かに「エンターテインメントを忘れていない」。これは、「漫画にはギャグを入れるもの」という漫画的方針の延長線上にあるのかもしれない。
藤子不二雄先生の「まんが道」にて、主人公達がシリアスで救いの無いセミ・ドキュメンタリー漫画を描いたところ、編集者から、漫画でしかできないことをやっていない(ギャグの無さなど)、と指摘されてしまうエピソードがある。漫画の神である手塚先生も、漫画にしか出来ないことを追求していたのかも。
漫画らしさが無い漫画は、実写にも適用され得る「コンテ」になってしまう。詳しい台詞は忘れたが、まんが道の前述の編集者は「実写の真似事のような漫画を描いてほしくない」というような事を言っていた。
それは、アニメにも言える事なのかもしれない。手塚先生は、自身のコンテでそれを示している?
そう思うと、手塚先生はアニメにも大きな影響を与えたことになるわけで、手塚先生の功績はやはり並々ならぬものがあると、しみじみ思う。比較的早く亡くなられたのが、つくづく悔やまれる。
- 27話
26話に引き続き手塚治虫先生の脚本。
相変わらず、「漫画家の鉄則」であるギャグを忘れない作り。コンテは石黒昇監督。
今回はロック、サファイア、ブラックジャック、ピノコが越境して出てくる。ここは流石に原作者脚本ならでは。
それにしても手塚先生、脚本やコンテかく時間をどうやって捻出していたんだ…。
あと、ここらからアニオリが多くなるそうだが、今回含め、アニオリになっても話の密度が濃いのは相変わらず。一話完結にこだわった結果、原作ストックがあっという間に無くなった感ある。
話は、全てのゴタゴタはロックのせいだろって感じだったw
黒幕の素顔を手塚先生に似せたりする遊び心もあるのは、やはり原作者脚本だなあという感じ。
- 28話
脚本・金子裕さん、
演出・コンテ石黒昇監督
(コンテは吉田浩さんと共同)。
吉田浩さん、経歴見たらロボットもの凄く多い。ダンクーガとか:
https://www.google.co.jp/amp/s/www7.atwiki.jp/anime_wiki/pages/1026.amp
話は映画ネタを使ったエンタメ回なので、映画パロディが沢山出てくる。そういえば、同じ石黒昇監督のマクロスでも劇中映画がクローズアップされてたなあ、とか思い出す。
そして、相変わらず脚本の密度が濃い。脚本・演出・作画の休まるヒマが毎回無いのが恐ろしい。
脚本の密度の濃さについて、言い出しっぺは手塚治虫先生なんだろうか?前回27話含む手塚治虫先生脚本回を見るに。
石黒昇監督も手塚治虫先生も、やり出したからには完遂するしかないという事態にハマってしまったというか。それとも手塚先生の異常なペースに付いていった結果なのか…
手塚先生自身の漫画も、1ページ内の情報量が多いからなあ。
それをアニメにするってなるとこうなるのか…
このペースの何がイカれてるかって、下手したら展開遅めの1クールアニメを、このスタッフなら3話で終えることができそうなところ。
士郎正宗作品を忠実にアニメ化できそう 。
- 29話
続きものであるアトラス編、脚本は山崎晴哉さん。前に山崎晴哉さんが脚本を手がけたアトラス編の回想が入っていたり、整合性を取っている。話は相変わらず目一杯色々詰め込まれており、スタッフの時間の使い方が凄まじい。
そして相変わらず被害甚大で、北極の氷の大半が溶けるという未曾有の大ピンチ。それがお茶の水博士の作った陽子氷結爆弾でなんとかなるのが、かなり強引だがw
そして話を詰め込むだけ詰めたとばっちりで、アトラスは毎回、すぐやられる。
あと、動画にカブトボーグ監督の石踊宏さん再び発見。
アトラス編のアトラスが毎回アトムにすぐやられるパターン(その前の被害は甚大だが)、極力次回に引っ張らないという本作の構成方針に則っており、バトルもののセオリー(とにかく引っ張る)から外れていて新鮮に映る。そのためにかかるスタッフの負荷が凄い気もするが、子供を飽きさせない努力かも 。
だが、極力1話で終わらせるために、沢山のエピソードが必要になって辛そうな面が、中盤以降出始めている。
それはともかく、1話に詰め込む技量は凄まじいものがあり、語り継がれるレベルだと思う。
- 30話
ウランちゃん回なのに、相変わらずロボットの死に方がえぐい。石黒昇監督の直接コンテ回だからかな…。とてもロボット権のある世界には見えないw
脚本(金子裕さん)も相変わらず詰め込みまくっている。
この、話を1話に詰め込みまくりな件、石黒昇監督のコンテ回にて特に感じるから、監督自身の方針・技量も多々あると思う。
31話脚本は高屋敷さんなんだけど、金子裕・高屋敷英夫さんは色々な作品で共通で参加してるなあ。めぞん一刻の、二人の共著脚本は驚いた。なんとなくなパート区切りは感じたけど、確証はできないのが残念だ 。
ほんと脚本の共著は、どう個性を抽出するかが難しい。いきなり1話内で性格や雰囲気が変わったり、話の雰囲気が1話内で明確に分かれてたりする時はわかりやすい。
立場が上の人が大半を書き直した場合というのが、何か評するのが気まずい感じ。
- 31話
私待望の高屋敷さん脚本回で、しかも出崎哲さん演出コンテ。作画も清水恵蔵さん、四分一節子さんほか、哲さんスタジオ・マジックバスの面子。私的に豪華メンバーすぎる。
高屋敷さんの過去作・未来作シンクロも沢山あった。
優しいお爺さん・年上男性(ロボット)が体を張る・自己犠牲・物に魂など、高屋敷さんの特徴が沢山出てきた。
また、高屋敷さんの、家なき子や赤ルパン演出などとのシンクロがある。特に列車のアクションネタは赤ルパン演出と多いに重なるのは驚いた。脚本なのに、演出時と同じ事ができている。
また、ベルばら(高屋敷さんコンテ・哲さん演出)や、ど根性ガエル(哲さんコンテ・高屋敷さん演出)でも感じられた、哲さんとの絶妙なコンビネーションが今回も炸裂している。
作風としては、高屋敷さんは、出崎統さんより出崎哲さんの方が近いのか?と時々思うほどだ。
面白いのは、本作の哲さん脚本・演出コンテ回では、妹型ロボットが体を張るが、高屋敷さん脚本・哲さん演出コンテである今回は、お爺さん型ロボットが体を張るところ(高屋敷さん特徴・味のある中高年)。なんかこう、二人の好みの共通性と違いがモロに出ている。アニオリ回だから特に。
という訳で、この回を見るにつけ、出崎哲さんと高屋敷さんの関係性というかコンビネーション技に益々興味が出てきた。
- 32話
高橋良輔さん脚本で、やはりボトムズみたいにミステリアスな美女(ロボット)が出てくる。 そして本作全体に言えることだが、人やロボットの死に方がえぐい。そして若干22分にまたしても詰め込むだけ詰め込まれている。
そして、ロボット・クレオパトラが自分を作った博士を道連れに死を選ぶ。ここもやりきれない展開で、本作はとにかくビターなテイストが目立つ。それが本作の魅力なのかもしれない。 それにしても、高橋良輔さんの脚本は、監督作のボトムズ的なものを感じてしまう。特にミステリアスな美女に翻弄されるところ。
私が探求中の高屋敷英夫さんは、「演出も脚本も、やることが一緒」で、特に脚本から、映像に個性が出る妙技に惹かれるわけだが、 高橋良輔さんの「脚本」を本作で見てみると、高屋敷さんと同じように、やる事が演出と脚本とで同じ。そこが興味深い。
- 33話
アトラス編。脚本は前のアトラス編と同じく山崎晴哉さん。すっかりバトルもの専門みたいになってきた。これもキン肉マンシリーズ構成になる布石か。
演出は出崎哲さん、コンテは石黒昇監督。
どうも、今回の高速地下鉄アクションや他の演出回を見るに、出崎哲さんはスピードアクションが好きなようだ。また、自身のコンテや演出も、超高速アクション(人体中心だが)が多い。なにげにスピード狂なのかもしれない。
そういえば、弟の出崎統さんも無類のスポーツカー好き。
また、統さんと同じく、男の世界好きは相変わらずで、アトラスは男の面子にこだわり、また、女の涙には真摯に向き合う。涙といっても、ロボットは涙を流せないので、目に
かかった水で代用している。.@nanashiborgerさんも書いていたが、 うまい演出だと思った。誰の発案だろうか?
あと、作画の清水恵蔵・四分一節子・小林ゆかり・小和田良博さんは、出崎哲さん監督のキャプテンの作画陣。キャプテンは、コロコロした可愛い絵柄だが、1980アトムでは陰影の濃い、テカテカ塗りで劇画調。この使い分けも、流石という気がする。出崎哲さん率いるマジックバスの底力を感じる。
また、出崎哲さんは男の世界好きだが、それを支える作画陣は四分一節子さん・小林ゆかりさんら、女性が目立つ。そこも面白いところ。
四分一節子さんは、プレイボール監督も手がけた(総監督は出崎哲さん)が、男の世界をキープしている。
- 34話
城山昇さん脚本・コンテ石黒昇監督・演出秋山勝仁さん。 城山さん脚本&秋山さん演出&宇田川一彦さん作監は、じゃりん子チエでよくある組み合わせ。なんか突如出現した。やはり東京ムービー作品的な人脈を感じる。
相変わらず、ロボットや人に加え、動物の死に方もエグい。 この時代の城山昇さん脚本は、元祖天才バカボンやじゃりん子チエ脚本とか見るに、結構過激。それでいて、監督や演出の個性の抽出も上手い。 ここから思うに、話のエグさは石黒昇監督の個性なんだろうか。
話は相変わらず、約22分内に収まっているのが信じられない密度の濃さ。 あと、城山昇さん脚本参戦で、脚本面では高屋敷さん・城山昇さん、演出面では秋山さん、とチエスタッフが集ったことになる。ど根性ガエルのスタッフの多さに加えて、不思議な縁。
- 35話
脚本・金子裕さん、演出・宮崎一哉さん、絵コンテ・山谷光和さんという、本作ではおなじみの面子。演出の宮崎一哉さんだが、グレンダイザーやゴッドシグマなど古典ロボットアニメの参加が多い。
https://www.google.co.jp/amp/s/www7.atwiki.jp/anime_wiki/pages/2576.amp
山谷さんだけでなく、脚本・演出・作画面すべてで、他のロボットアニメに参加していた・後に参加するスタッフが多く、アトム自体がロボットアニメのパイオニアのひとつなのだと実感する。アトムのような自律タイプ・マジンガーのような人が乗り込むタイプに分化はされていくが。
相変わらず話の密度は濃く、これが1話内に収まっているのは異常。検索すると、スタッフ欄に「構成・手塚治虫」と書いてある紹介サイトもあり、この密度の濃さの言い出しっぺは、やはり手塚先生なんだなと思った。手塚先生のネームも密度が高いし。同じ脚本家の他の作品では、ここまで詰め込んでない。
時間をどう使うかは作品によって色々だが、この1980年版鉄腕アトムの1話内での話の詰め込み方は、同時代の他の作品と比べてもおかしいレベル。手塚治虫先生の漫画のネーム量をアニメにも適用しようとするとこうなるのか…という感じ。つくづく、脚本家に相当な技量が求められる作品だと思う。
- 36話
石黒昇監督のコンテ。思えば、ど根性ガエルやヤマトで山ほどコンテを切っていたわけだから、自身監督作でもコンテは沢山切るのか。
話は海中アクションで、山のように出る魚の作画が凄まじい。
また、作品越境で人魚型ロボット・ピピが出ているが、凄く可愛い。なんとなくやばい可愛さ。流石は手塚先生、色々なフェチがあるというか。
脚本は相変わらず密度が濃く、皿田明さんという人。調べたら水戸黄門など、時代劇の文芸を担当しており、アニメは少ないようだ。
また、相変わらず被害規模がでかい。
よく考えたら、同じく石黒昇監督作のマクロスも、マクロスにいる人達以外の地球人が殆ど死んでるという規模のでかさだった。段々石黒昇監督の趣向が見えてきた。
- 37話
脚本が城山昇さん。
城山さんは中盤以降からの参加だが、この作品の構成方針に則り、詰め込めるだけ詰め込んでいる。終盤の詰め込み方は異常で、カット数も膨れ上がっている。心配になるレベル。
これは原作つきの話だが、それにしたって詰め込み具合がおかしい。
ところで、演出の、はしもとなおとさん、脚本の城山昇さんは「キャプテン」スタッフ。はしもとなおとさん、色々な作品で名前を見かけるので気になるところである。
ちなみに今回も、動画に石踊宏さんがいる。
ちなみに原作通りの模様だが、アトムは首を取られても喋れる。やはりメモリ系とかも胸のあたりにあるんだろうか。
- 38話
アトラス回。いつの頃からか、アトラス回は出崎哲さんが演出、脚本が山崎晴哉さんが定番に。今回は演出が出崎哲・はしもとなおとさん、コンテが石黒昇監督。演出・作画が「キャプテン」スタッフ。
話は相変わらずの過剰な詰め込み具合で、終盤駆け足すぎな所が残念。作画は出崎哲さんスタジオのマジックバス。清水恵蔵・四分一節子・小林ゆかりさんほか「キャプテン」作画陣が率いており、クオリティ高め。アトラス編に対する気合いが感じられる。
それにしても、出崎哲さんと、はしもとなおとさんの関係は気になる所である。「キャプテン」も、出崎哲監督コンテ回にて、はしもとなおとさんが、よく演出をしている。固い信頼関係だったのだろうか?
- 39話
私が探求中の、高屋敷英夫さん脚本回。
あと、コミックシーモアで原作をレンタルして読んだ。
戦慄したのは、雨の中アトムがケガ(義体の不調)をしたホームスパンをおんぶし、心を通わせるシーン。はだしのゲン2脚本と被っていく。
はだしのゲン2脚本では、序盤・中盤・終盤でゲンが母をおんぶする構成。そして終盤、母はゲンにおんぶされながら死ぬ。最期、母はゲンの成長を感じ取りながら死ぬわけだが、今回では、アトムに背負われながら、アトムの男気を感じ取ったホームスパンが心を開く。おんぶ演出の歴史はこっちが先だった。
高屋敷さんの、おんぶ演出については、私が観測したところでは、この1980年版鉄腕アトム脚本→はだしのゲン2脚本→RIDEBACK脚本→マッドハウス版XMEN脚本…となる。探せばまだあるかもしれない。
あと、このシーンにてアトムが、少年から男の顔に豹変する(特徴)。
高屋敷さんとロボットアニメの相性については、「物には魂がある」と同氏が捉えている点では相性がいいが、もう一つの得意分野である「少年から男への成長」については相性がよくない(ロボットは基本、成長しない)。それが、担当本数が少ない理由の一つかもしれない。
だが今回、アトムが「男」を見せることができるように、色々状況設定を工夫している。
あと、オリキャラのDr.ワクチンに、「伝統とは血液ではないよ。心の中の誇りがそれを支えているんだ」というアニオリ台詞を言わせている。同氏作品で、疑似家族と、その愛がよく出ることの答えの一つかも。
とにかく、おんぶ演出と、「伝統とは血液ではないよ」、これは大収穫だった。ちなみに、スターシステム採用で、ホームスパン役を七色いんこが演じている。あと、本作全体に言えることだが、やはり長い原作を超圧縮しているのが凄い。
- 40話
脚本・コンテが高橋良輔さん、演出が石黒昇監督という、ボトムズ監督×マクロス監督の共演。
原作未チェックだが、おそらくこれも長い原作を超圧縮していると思われる。
高橋良輔さんの脚本は意外にウェットな部分も多い。
硬質でドライなイメージのボトムズが、実際見てみるとウェットな所があるのを思い出す。
そして石黒昇監督の演出は、ロボットの死に様が(いつも)エグい。一体これは何がルーツなのか…興味深いところではある。
- 41話
石黒昇監督と共同で脚本と絵コンテをやっている村野守美さん、マンガ家としても有名で、白黒アトムのスタッフでもある人と知り驚き。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E9%87%8E%E5%AE%88%E7%BE%8E
この村野守美さん、2011年に亡くなっているのが悔やまれる。
演出は出崎哲・はしもとなおとさん共同、作画は清水恵蔵さんや四分一節子さんなど、哲さんスタジオ・マジックバスの面々。
話は原作でも目立つ(未チェックだが)ガロンのエピソード。
アトラス回といい、このガロンといい、アトムのライバルロボの話にマジックバスの面々が登板するのは、ロボバトルが得意だったからだろうか?哲さん自体は、次第にロボアニメと距離を置いていくようになったらしいが。
あと、出崎哲さんと、はしもとなおとさんは共同で演出を行う程の仲なのか。哲さん監督作「キャプテン」では、哲さんコンテ×はしもとなおとさん演出回が多かったが、以心伝心の仲だったのかもしれない。
もっとも、今回のような複数人演出というのは修羅場っぽくてやばそうだが。
- 42話
脚本は本作初出の藤川桂介さん。
演出・安濃高志さん、
コンテ・西村緋祿司さん。
西村緋祿司さんを調べたら面白い経歴。虫プロ出身、みんなのうた等も手がけている。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9D%91%E7%B7%8B%E7%A5%BF%E5%8F%B8
脚本に藤川桂介さんが加わったということは、脚本陣の荒木芳久・杉江慧子さん、演出陣の出崎哲さん、作画陣のマジックバス他と合わせると、新エースをねらえ!のスタッフも集まってきた。新エースをねらえ!も本作も、日テレPが吉川斌さんなので、その関係かもしれない。
話はゲストロボ達が可愛いものの、世知辛いディストピア世界が描かれており、石黒昇監督のディストピア好き(?)が出ている気がする(同じく石黒昇監督のメガゾーン23と比較)。
- 43話
アトラス編ラスト。
脚本・山崎晴哉さん
演出・出崎哲、はしもとなおとさん
コンテ・石黒昇監督。
いやもう、石黒昇監督が後にマクロス監督となる要素がガッツリ入っていて、気合の入ったドッグファイト場面や戦闘機描写が凄まじい。
というか、場面を切り取ってマクロスの一場面だと言ったら大抵の人が信じこむレベル。
作画もアトラス回おなじみの、出崎哲さんスタジオ・マジックバスの、清水恵蔵・四分一節子さん達で、ハイクオリティ。
話も詰め込めるだけ詰め込んであり、これが最終回でいいんじゃないかなという感じ。
ただまあ、最終回にするには、あまりにビターな結末なので、ここが最終回ではないのも、しょうがないのだが。
それにしても今回、地球がインベーダーにより壊滅的な打撃を受けたのに、次回から日常に戻るっぽいのは違和感がw
まあ、本作内の被害規模がでかいのは、いつものことなのだが。
興味深いのは、演出の一人の出崎哲さんが、本格的なメカ戦を手がけていること。なんとなく、ロボット・メカものから、後年は距離を置いてるっぽいので意外。
とにかくマジックバスの底力を感じられるし、石黒昇さんが後にマクロス監督になるのが納得できる名回。
- 44話
脚本・金子裕さん、演出・宮崎一哉さん、コンテ・山谷光和さん。
前回のアトラス編ラストが地球の危機だったのに、今度は東京中の電力やロボットのエネルギーが失われる危機。相変わらず被害甚大。
この話は原作にもあり、ほぼ忠実だが、大量のロボットが合体したロボットが流行りのデザインに変更されている。
また、東京の被害が甚大な件については、同じく石黒昇監督の、メガゾーン23における都市大崩壊や、マクロスにおける、人類ほぼ全滅に生かされているようだ。
- 45話
脚本・城山昇さん、演出コンテ・石黒昇さん。
ウランちゃん回。
遊園地のメインコンピュータが暴走して、自分が神だと思い込む話だが、同じく石黒昇監督作のメガゾーン23のメインコンピュータ・バハムートが思い出される。
ちなみに、おもちゃ屋さんのシーンで、ザンボット3とコンバトラーVが登場してたりする。
この頃の城山昇さんの脚本は、良い意味でエキセントリックで、かつ監督や演出の個性を引き出す特徴もある。今回も、良い意味でイカれている。
ところで1980年版アトムは、ウランちゃん当番回は特殊EDまであるのに、何やら全体的な存在感は地味な気がする。プルートウとの交流も、尺の都合で短いし。2000年代版アトムの方が、プルートウ関連で目立っていたような気がする。
- 46話
脚本:手塚先生、演出・作監:正延宏三さん、コンテ:手塚治虫先生&石黒昇監督という、手塚先生参加回。そのせいか、ノリや動作が原作コミックぽい。メカまわりは当時の流行に沿っていて、石黒昇監督パートっぽい。
話は、天馬博士がアトムに対して不満だった点(身体が成長しない)を補おうとする博士が出てくる。その博士の技術とは、自分の息子としてロボットを作り、そのボディを成長年齢に合わせて変更していくというもの。原作者ならではの観点で話を起こしている。ちょっと攻殻っぽい話。
この話に出てくる息子ロボットは、完全に自分を人間だと信じ込んでいた。
攻殻原作コミックに、「そんな精巧なロボットがいたら、それはもう“人間”なんだよね。差別すんなヨ」とフチコマが解説するコマがあるが、対比すると面白い。
また、手塚先生の、時代先取り能力に戦慄を覚える。
前述のフチコマの台詞と同じような感じで、息子ロボットは、自分がロボットだとカミングアウトしても、皆に認められてハッピーエンドになっている。
アトム世界のロボットは、攻殻で言うところの「ゴースト」を獲得しているものと思われ、そこも攻殻と比べると興味深い。
- 47話
Gyaoの1980年版鉄腕アトムの47話無料配信始まった。
脚本:藤川桂介さん、演出:宮崎一哉さん、コンテ:永樹凡人さん、演出助手:石田晋一さん。
本作にて、今回ほか多数演出助手をしている石田晋一さんが気になったので検索してみた。
https://www.google.co.jp/amp/s/www7.atwiki.jp/anime_wiki/pages/5990.amp
本数としてはパーマンが多い。もしかしたら、変名で手がけた作品もあるかもしれない。
話は、アトムは睡眠中に見る夢も、将来の夢も無いが、人に夢を与えることはできるという、何やら哲学的な話。PKディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」的な。電気羊~はタイトルのような話ではないが。
調べたら、電気羊~は、日本語版は1969年が初版。脚本の藤川桂介さんが、電気羊~のタイトルからイメージを膨らませた可能性が少しは考えられる?ちなみに電気羊~はブレードランナーの原作なのだが、話は原型をとどめていないレベルで違う。
話を戻すが、アトムには夢がないが、人に夢を与えることはできる…という、今回の結論は、現実にも起こっていること(ホンダのアシモなど)なので、先見の明がある。
- 48話
脚本:杉江慧子さん、演出:宮崎一哉さん、絵コンテ:永樹凡人さん。
脚本の杉江慧子さんは、アニメではおそらく今回が遺作。オンエア時には亡くなっている。以前も書いたが、荒木芳久さんの手記によると才女だった模様。
また、以前ツイートしたことがあるが、ベルばらでの、蛍が舞う中でのアンドレとオスカルのラブシーンは杉江慧子さん発案とのことで(wikiより)、これは、私が高屋敷さんを探求する中で不思議に思う、「脚本からの演出」について大きなヒントを貰った逸話でもある。(私の高屋敷さんについてのブログ: http://makimogpfb2.hatenablog.com/ )
話は、原作つきの話で、おそらく長い話を超圧縮していると思われる。ロボット「火の玉」がショタかわいい。シリーズ構成としては、中期くらいにやるべきエピソードだと思うのだが、杉江慧子さん亡き後のオンエアを考えるに、何らかの事情で寝かせてあった脚本なのでは?と推測してみたり。
杉江慧子さんには、もっと生きて欲しかったと強く思う。色々アニメ史に残すべき情報を持っていたと思うし、自身のお仕事もアニメ史的にもっと語り継がれていくべき。
名作アニメで杉江慧子さんの名前を見かけたら、ぜひ思いを馳せてほしいと思う。
- 49話
脚本:城山昇さん、演出:笠原達也さん、コンテ:安濃高志さん。
演出の笠原達也さんは劇場版マクロスの演出に参加している。石黒昇監督つながりか
https://www.google.co.jp/amp/s/www7.atwiki.jp/anime_wiki/pages/5822.amp
また、作監の樋口善法さんは今も活躍するベテラン。最新は魔法使いの嫁原画。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E5%96%84%E6%B3%95
話はウラン回。ゲストロボ・ゼウースがウランが惚れるの納得の美形。あと、ロボットの死に方が本作の特徴でえぐい。また、オチに驚く。ちなみにランプが敵役で登場している。
- 50話
脚本:手塚先生・山崎晴哉さん
演出:出崎哲さん・はしもとなおとさん
コンテ:西村緋祿司さん
出崎哲さん演出参加なので、作画は当然、清水恵蔵さんや四分一さんなど、哲さんスタジオのマジックバスの方々。相変わらずクオリティ高い。
手塚先生が脚本に絡んでいるためか、序盤・中盤・終盤で死亡者が出るなどビター展開。
話は、相変わらず詰め込めるだけ詰め込んでいる。手塚先生も山崎晴哉さんも密度の濃い脚本が上手いため尚更。バイキングの秘宝を追う話のはずだが、ラストは死亡者が出て、ほろ苦さが残るものになっている。
- 51話
脚本:手塚先生、石黒昇監督、
演出:宮崎一哉さん、
コンテ:石黒昇さん。
脚本に手塚先生が絡んでるだけあり、手塚先生の漫画がそのままアニメになってる感あり。
話も手塚先生の漫画のように二転三転する。
手塚先生も石黒昇監督も、エグい展開が持ち味なので、今回の被害者は多い。
あと、石黒昇監督のコンテが、ど根性ガエルの同氏コンテに共通するものがある。出崎哲さんと同じく、大胆遠近が持ち味。哲さんは超大胆だが、石黒昇監督のは少しマイルドめ。
また、毎度のことだが、話の圧縮具合が異常。
- 52話(最終回)
脚本:手塚先生
演出:石黒昇監督。
いきなり実写の手塚先生が出てくるが、この実写パートを撮っているのが、手塚先生の息子の手塚眞さんだったりする。
話は原作でも有名なニョーカの話。
流石は鬱くてエグい話が得意な手塚先生と石黒昇監督、最後も鬱くてエグい。
冒頭で手塚先生が「悲しいお話です」とネタバレする始末。
話は、アトムが好きになった少女ロボットが中性子爆弾機能を持っていたため、最後にバラバラにされ足だけが残り、その足がアトムに移植されたという話。
この話にて「ロボットが恋をするのか」「ロボットが死を悼み、形見を求めるのか」という問題に取り組んでいる。ここまでできるロボットなら、やはり攻殻(原作)のフチコマの言う「そこまで精巧なものが出来たらそれはもう人間なんだよね」が思い出される(前も書いたが)。
攻殻原作のフチコマ、攻殻SACのタチコマ、ともに魂(ゴースト)と呼べるようなものをもち、特定の人(バトー)になつく、死や悲しみを理解しようとするなど、色々な可能性を見せており、「戦闘兵器としてのロボット」と「心を持つロボット」の両立という点で、アトムに通じるものがある。
まあ極論を言えば「全てのロボットアニメのルーツを辿るとアトムか鉄人28号に行き着く」のかもしれないが…
80年代に入るとテカテカ塗りの(当時の)最先端ロボットアニメが多く出てくるようになる。
そういった年代の初頭に、アトムと鉄人28号が同時期にリメイクされたのは面白い。
あと、1980年版鉄腕アトムで特筆すべきは「脚本の密度の濃さ」。とにもかくにも、22分前後以内に色々な事が起こりすぎるくらいに起きる。これは、前にも書いたが、「子供を飽きさせないために引き伸ばさない」よう手塚先生が方針を固めたのかもしれない。
これを実現するために、全スタッフが全力投球している感じがする。時に、やりすぎてる感があるが…。
また、様々なクリエイターの重要な地点になっている気がする作品。
とにかく、「話の密度の濃さ」、これが一番強く印象に残る作品だった。
やたら引き伸ばしがある話が苦手な人に、強くおすすめしたい。